手筒花火とは

手筒花火の歴史



■手筒花火の誕生

手筒花火の始まりは諸説ありますが、ここでは一例をご紹介致します。
手筒花火には、最も原形に近い「黒色火薬」が使われます。 それを竹筒に詰めて火をつけ、炎と煙を噴出させるという、煙火の基本のような煙火です。
ある有識者によれば「もともとは火薬の実験のような事から始まり、祭礼の奉納煙火として確立されたのではないか」と言われています。
また手筒花火の構造は、戦場における情報伝達手段「狼煙」に似ていることから、原形は狼煙であるという説もあります。
私個人は、いつの世にも存在する「やんちゃな人」が、狼煙を手に抱え得意になって揚げたのが始まりではないかと勝手に思っています。

■なぜ三河なのか

戦国時代、火薬とその技術は戦の勝敗を左右する大変重要な役割を持っていました。しかし、徳川が天下を統一した後は、各地で謀反が起きないよう、火薬の取扱に厳しい制限がかけられました。
しかし、火薬の技術が廃れてしまう事を危惧した幕府は、家康の出身であり謀反の心配が無い三河においては火薬の取り扱いを許可し、技術の伝承を推進したという説があります。

■手筒花火の現状

東三河では神社の祭礼で手筒花火を奉納する風習があります。古くから伝わる歴史ある祭りも多いのですが、近年のブームにのり新しく始めた町も多く、2008年では188団体、114の手筒祭りが催されています。
しかし、2010年現在ではじゃっかん減少傾向にあるようです。 手筒祭りには危険性が伴う事、経費が掛かる事、手筒製作などの準備期間に多大なエネルギーを必要とすることなどが挙げられ、ブームに乗り始めたけれども維持できず、やむなく中止した団体もあります。
また、団体も30、50人と人数が多いと、考え方の違いから派閥ができたり、世代間の考え方の違いなどが生じ、それら人間関係に嫌気をさして若い世代が定着せず、高齢化しているケースもよく聞きます。